目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第81回 日本の食文化再考と創生プロジェクトの紹介2

日本の食文化は誰がつくるのか?

かなり以前から、著名な料理人や食研究家を中心に、日本の食をブランド化して世界に広めようとする動きがある。最近は日本食文化を世界遺産にしてはどうかとも言われているらしい。海外の外食業界では日本料理は憧れの的である。アメリカやパリの高級レストランでは日本人の料理人が引っ張りだこである。

しかし次の事実がある。

「有名料理人やシェフ、料理研究家が誇る日本食文化は、日常の食卓に何の影響も与えていない」

この事実が、今回の日韓米仏の食卓調査で明らかになった。

今回、10月に行ったパリの25家庭での調査結果(1週間の食卓日記調査とメニューの写真記録)、その驚くべき事実を私たちプロジェクトチームは突きつけられた。プロジェクトの関係上、写真は見せられないが、これがグルメの国の食卓かと目を疑う有様である。日本で行った食卓調査についても同様の結果であった。

注)関東在住の子供のいる家庭10世帯、パリ在住の子供のいる家庭25世帯、シアトルとロスアンゼルス在住の子供のいる家庭20世帯に対して、メニュー調査(10月の1週間の朝、昼、夕の日記調査とメニューや食卓の写真撮影)を実施している。

パリの夕食シーンは一言で言えばワンプレートで済ますエスニックな食卓。フランスの食文化のひとかけらも見あたらない。日本の食卓にしても日本の食文化がどこにあるのかと疑いたくなるような光景である。アメリカの夕食は意外にボリュームの多い食卓である。そしてシンプルである。

日本もフランスもグルメの国である。お互いの国の有名料理人とシェフの交流も盛んである。しかし彼らの活動や啓蒙は一般庶民の食卓に何のインパクトも与えていない。「外食と家庭内食とは違う」と言われればそれまでだが、では何のための食文化なのか。

表現は悪いが次の喩えが図星である。

「Aさんはパリのルーブル美術館で名画を鑑賞した。すばらしい絵画に感動した。そして我が家に帰った。Aさんの部屋はぐちゃぐちゃ。部屋には絵画の一枚もかけられていなかった。Aさんはそのことにあまり違和感を感じていないようだ」

「消費者は1年中正月をやっているわけではない」

大体にして、有名料理人やシェフが自慢する日本やフランスの食文化は、かつての貴族やブルジョアのためのグルメ料理である。日本の立派なお節料理の歴史は案外に新しいと言われている。日本やフランスの料理界が誇る食文化はグルメ時代の残像である。言い換えるとルーブル美術館である。誤解を恐れずに言いたい。

「有名シェフや料理研究家だけに日本やフランスの食文化を任せたのでは普段使いの食卓文化は何も生まれない」


21世紀の日本の食卓潮流

少しデータは古いが食MAPから面白い結果が導き出された。
日本の食文化を象徴している米や醤油を使った料理について、21世紀に入って最初の10年間の動きである。結果から4つの事実と1つの結論がだせる。

  1. 米と味噌汁が基本の食卓は今も昔も変わらない。
  2. 家庭の食卓で醤油が使われなくなっている。
  3. 減っているが、普段の料理の大半は醤油料理。日本人の醤油好きは変わらない。
  4. 醤油料理のうち純和風料理は減り、和洋折衷料理が伸びている。

21世紀の日本の食卓潮流は和と洋のフュージョンである。

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和洋折衷料理はどのようにして生まれたか

この点に関して私の著書「天ぷらにソースをかける日本人」(家の光)が参考になる。

「話しは少しそれますが、日本の食卓料理の誕生に、惣菜が関係しているように思えます。その代表が2つの天ぷらです。

注)ここでいう惣菜とは買ってくる市販惣菜ではなく、料理人が料理するのに対し庶民が調理するものを惣菜という。

魚の天ぷらから始まった油料理は、その後、揚げ豆腐やひろうず(がんもどき)などを普及させました。これも惣菜です。日本風にアレンジしたすり身の揚げ物や豆腐の揚げ物は、たんぱく質が不足がちだった日本人の食生活を大きく変えたという記録が残っています。

明治以降、本格的な西洋料理が、経済的な和洋折衷料理に化けることで庶民の間に普及しました。

コロッケはもともと、ホワイトソースに白身の魚や貝、エビなど高級な食材を加え、冷やして固め衣をつけて揚げた高級西洋料理です。それがジャガイモと申しわけ程度のミンチ肉の入ったコロッケ惣菜に化けました。バター炒めした米とスープに、トマト、白身魚、鶏肉を加えた高級西洋料理のトマトピラフが、残りご飯にケチャップをかけたチキンライスに化けました。本来は卵とバターだけでつくるふわふわが命のプレーンオムレツが、増量材のたまねぎや鶏肉で惣菜オムレツに化けました。果てはトマトケチャップと残りご飯を炒め、パリパリの薄い卵の衣で包まれたオムライスに化けました」

明治以降の庶民が親しんだ日本の料理の多くは、本格的な西洋料理や中華料理を、庶民にも手の届く料理にアレンジすることで誕生した。和と洋のフュージョンである。プロの料理人に言わせると庶民が調理する料理は、料理といわず惣菜と呼ぶらしい。ならばオムライスはフランス文化の代表である高級オムレツの惣菜化である。ポテトコロッケは高級クリームコロッケの惣菜化である。焼き餃子やチャーハンは本格中華料理の惣菜化である。惣菜と言われる庶民料理は市井の外食店から生まれ、一般の家庭の食卓に取り入れられ人気料理となった。

日本人は異国の料理を日本の食卓に同化させる技をもっている。惣菜化が日本の新しい食卓文化誕生の原動力になっている。この事実は、これからの日本の食文化を再考するうえで重要な事柄を指している。

日本が幕末から文明開化し武士の世が終わった明治時代。市民文化が芽生えた大正時代。市民文化が全国に広まった昭和初期時代。

日本の市民社会発展を食卓からリードしていたのが「和と洋がフュージョン」=惣菜(庶民料理)である。一般に洋食とも言う。

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