目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第73回 このままでは日本人がいなくなる!

日本の食の再生プロジェクトを実施している中で、もっとも深刻な問題は次の一言です。

「日本人の美味しさの基準が壊れはじめている」

その背景に日本人特有の食卓風景があります。ここ1年、アメリカで訪問調査を13家庭で実施しました。おもにシアトルの中流家庭ですが、一部東部のボルチモアの家庭も含んでいます。その中身はきわめて興味あることですが詳細は省略します。ここで申し上げたいことは全ての家庭で共通している事実があることです。普段の食卓作りに夫が積極的に係わり、食生活に係わる家族のチームワークが大事にされていることが共通しています。これは日本ではほとんど見られない光景です。とくに大都会ではそうです。

普段の夕食に夫が不在する家庭は、一家庭を除いてありませんでした。例外の一家庭は、夫が国内線のパイロットで不在がちでした。彼が帰る日は家族総出で大変な騒ぎらしい。普通のサラリーマンの夫は6時までには必ず家庭に戻っています。夫が料理に積極的です。逆に主婦の方が料理を苦手にしている家庭が散見されました。家族に対する夫の思いやり、とくに子供たちの健康への気遣い、さらに躾けを大切にしています。テレビを見ながらの夕食風景はほとんど見当たりません。

訪問先で「日本の家庭では夫不在の夕食が多い」ことを述べると、夫婦顔を見合わせ「まったく信じられない」の一言が返ってきます。

食MAPによると、関東の食卓では、夫の不在の夕食が日常茶飯事です。前回のコラムでお話したことですが、夫の不在は「子供嗜好中心の即食型食卓」を誘発します。子供たちに美味しさを教えることが無くなっています。このままでは明日の日本人がいなくなってしまいます。

グループインタビューで子供たちに「お母さんは料理上手?」と聞くと、多くの子供たちは「うん」と答えます。子供ならではの母親への思いやりです。同時に母親が子供の好きな食品や食材を買い置いていることが影響しています。その多くが手早く出来る簡手間料理です。小さな子供たちにとって母親の料理が全てなのです。ここに日本の未来の恐ろしさが潜んでいます。

30代、40代の小金持ち主婦と少々貧乏な主婦の2つのグループのインタビューを行いました。どちらの食生活がしっかりしていると思いますか?

お金に窮屈な家庭ほど家族そろって食事をしています。贅沢な手作り料理は作りませんが、普段使いの手料理は活発です。夫などの弁当も手作りしています。外食はあまりしません。「必要は発明の母」的な食生活を送っています。それで結構満足しています。

小金持ち主婦の家庭は夫が仕事で遅くなりがちで、子供は塾や稽古ごとで忙しいようです。自分はお友達と喫茶店やレストランで夫や家族のグチ話に華を咲かせます。中には「これまでの私の10年は一体何だったの?」と愚痴る主婦もいます。主人のいない夕食では「これでいいじゃん」のおざなりです。骨の無い軟体動物のような食卓です。「小人閉居して不善を為す」のたとえがぴったりです。

移民の多いフランスでは「このままではフランス人がいなくなる」という危機感、アメリカ産ファストフードの流行から、フランスの子供たちの味覚を守り、育てる活動が盛んです。小学校のカリキュラムにフランスの食材や料理、文化を子供たちに教える「味覚週間」という授業が10年以上続けられています。農業関係者、経済学者、科学者、栄養学者、シェフなどさまざまな食の専門家が実践的な授業を行っています。その運動がイタリアやイギリスにも普及しています。そのせいか、最近のイギリス料理は美味しくなったという噂を耳にします。栄養バランスと米消費拡大を目的にした日本の食育とはかなり趣が異なります。

日本の食育では、日本人の味覚を守ることはできません。なぜかというと食文化を育てる思想がありません。生理学的美味しさの次元にとどまっています。

日本の食の再生は、生理学的美味しさを必要条件にしながらも、その上に文化的美味しさを魅力条件として重ねることで初めて可能になります。

そこで提案したいことがあります。日本人の美味しさを守り、育てるためには「文化としての美味しさの基準づくり」が必要だという提案です。

それはどんな基準?

そんな基準づくりなんて本当にできるの?

(次回お話します)

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