目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第72回 日本の食品市場は歴史的転換期に入った ~パート1~

21世紀に入って10年以上がたち、さまざまなことが起こった。2001年9月11日の世界貿易センタービルなどが標的にされた同時多発テロ、2004年から始まった内食回帰(弊社の食MAP10年トレンド分析結果より)、2008年秋のリーマンショック、そして2011年3月11日の東日本大震災。これらは日本の食市場に多大な影響を与えた。また影響を与え続けている。

結論は「日本の食品市場は歴史的転換期に入った」ということである。その意味を2回に分けてお話する。

まずは食MAPによる10年食卓トレンドからの知見である。火の鳥プロジェクト(日本の食再生プロジェクト)を始めるための基本認識を得るためである。図は弊社が食品メーカー12社と共同で実施した日本の食再生のシナリオ作成のための10年食卓トレンドの特徴である。 

日本の食の再生に重要なターゲット(主役)と食卓シーンの2つのフレームで食卓市場をセグメントし、21世紀に入ってから東日本大震災後に至るまでの日本の食卓のトレンドの特徴を明らかにしている。
top_column_72_1.GIF図に示した流れが日本の食の再生につながれば良い。しかし現実は必ずしもそううまくいかない。過去10年間のトレンドと、大震災をきっかけに行わなければならない日本の食再生シナリオづくりにギャップが生じる。ギャップは多くはわずかなようだ。大震災後の変化の予兆はリーマンショック後、すでに起きていた。これが今のところ日本に幸いしている。しかし大きなギャップもある。そのギャップを埋めるための再生プロジェクトが必要だというのが私の考えである。

 阪神大震災後、日本人は何が変わったのか?
 何も変わっていないのではないか?
 「喉もと過ぎれば暑さを忘れる」という日本人の悪い癖が、また出るのではないか?
 日本人のライフスタイルは絶対に変わらなければならない。
 そうしなければ何のための東日本大震災だったのかわからない。
 その警鐘と解決策を実行するのが我々の使命ではないか?
 そのための食品メーカーの責務は重い。
 今の日本人の食スタイルを作ったのは食品メーカーだから...

食再生のシナリオは、以下の姿勢に基づきデザインした。

  • 事実を観察科学し(目の前に見える事実以上の何かがあることに留意)
  • ミッション(使命感)とパッション(情熱)をもち
  • 人々に理解してもらい、気付いてもらうよう表現する
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日本の食再生に関して、大きなギャップのある2つのシナリオの話をしよう。

(日本の食の再生のための2つのシナリオ)

①日課としての食(ルーチン・ミール)の台頭

いつから言われははじめたのか定かでないが、日本の食の基本を表す言葉として一汁三菜がある。この一汁三菜食卓が21世紀に入り大きく変質している。

食MAPによると2004年(1月~6月)の夕食の32.4%(食卓ベース)が2011年(1月~6月)27.6%にまで減少している。一汁三菜食卓の主役であった伝統重視派(Japan-VALS™)は2004年では49.9%だった。それが2011年の東日本大震災後25.5%に半減している。

一方、一汁三菜食卓と縁が薄かった35歳未満夫婦のみ世帯(若い世代)では逆に増加している(22.8% ⇒ 34.9%)。一汁三菜食卓の主役の新旧交代が起きている。

食品業界はこれまでハレ的な市場を狙い、普段の食卓には関心が薄かった。一汁三菜食卓はいわば普段使いの食卓であり日課としての食生活である。この食卓が全体として減少し、かつ主役が交代している。主役が違う一汁三菜食卓のメニューの種類や作り方は、当然に大きく変化する。
top_column_72_3.GIF伝統が時代の変化の中で生き続けるコツは、時代の変化に適応して変わる部分と、時代の変化にもかかわらず変わらない部分を、如何に併せ持つかである。古い社会に新しい技術や文化が、普及する法則を研究した社会学の成果のひとつである「両立性要素」がこれにあたる。古さと新しさの融合(フュージョン)と言い換えることもできる。因みに世界の統合は、現在の次元とは異なる、より高い次元でのフュージョン化(統合化)にかかっているというのが私の時代仮説である。その最大の実験が行われているのがアメリカではないか。アメリカのバイタリティはフュージョン化から生まれているのではないか。

アメリカでもリーマンショック後、内食回帰が起こり、ルーチン・ミール(日課としての食事)が増加している様子だ。生活が多忙化する中で、食生活が部分化している。だからこそ、たとえわずかな時間でも家族の食卓を大事にしようという動きが起こる。食が生活の一部に組み込まれることで、かえって日常的な食の重要性が増す。

アメリカのルーチン・ミールはかつての伝統的な食スタイルではない。さまざまな移民人種とアメリカ人の暮らしが溶け合う中で料理がフュージョンするスタイルである。日本の安っぽいファッション型エスニックの流行とは違う。アメリカで起きているさまざまなフュージョン化の共通点は、コンビニエンス、ヘルシー、デリシャス、ジョイフル、そして経済的である。

日本も伝統料理のフュージョン化、旧来のご馳走料理のライト化、おつまみ化、日課としての食事と濃密なハレの食事のメリハリ化が、食再生の鍵を握っているのではないか。
 
②美味しさの基準の崩壊

食MAPによると、内食回帰が進む中で、リーマンショック後「家族団らん夕食」が減少し始め、東日本大震災後も続いている(2008年1月~6月 33.7% ⇒ 2010年同月 33.0% ⇒ 2011年同月 31.6%)。

家族団らんの食卓は21世紀の食卓潮流の写し鏡である。

内食化が進む中で、家族団らん食卓によく登場していたご馳走料理(揚げ物、鍋料理、刺身、魚料理など)が大幅に減少しているショッキングな事実がある。家族団らんの食卓の軽食化、嗜好化が進んでいる。
top_column_72_4.GIFその背景に食卓における2つの夫(父親)の不在がある。1つ目は物理的に夫が不在する食卓の増加である。2つ目はこれまで食卓満足度に一番影響を与えていた夫が、心理的不在になる食卓の増加である。夫がいようがいまいが食卓満足に影響がない夕食が増加している。結果起こることは、子供の嗜好を中心にした食卓の増加である。これに簡便化志向が重なり事態をややこしくしている。子供の好きなものを手早く出す食卓の増加である。「食卓のフードコート化」と呼んでいる。

家族の絆は日米で大きく異なっている。アメリカのサラリーマン(夫)はちゃんと夕食時(夕方6時まで)に帰っている。週末や休日は夫が夕食を作る家庭が多い。食事にかかわる子供の役割がちゃんと決められている。アメリカの食卓は家族の絆をベースにした、家族の役割とルールという骨格がある。日本の食卓は骨格のない軟体動物のようだ。「夫(父親)の食卓への帰還」をどう進めるかは日本の食の再生の大きな課題である。

料理とは本来、食べる人と作る人がいて、作り手が食べ手の健康状態や嗜好を考え、素材の持ち味を活かす技の結果である。この技から文化が生まれる。子供の好きなものを手早く出すことが、料理の技の崩壊を招いている。

これはシングルス世帯でも言える。シングルスは食べる人と作る人が同じである。マヨネーズ好きな人はどんな料理にもマヨネーズをかける傾向がある。インターネットのグルメ情報がこれに拍車をかける。グルメナビゲーションのカリスマ主婦の料理には美味しさの明確な基準がない。料理という概念もない。独りよがりの美味しさが蔓延している。 

このままでは日本人の美味しさは変質してしまうだろう。結論を言えば日本人がいなくなる。食品メーカーはこの現状に追従する(拍車をかける)だけで良いのだろうか?

料理という概念の崩壊は日本の食文化の崩壊を意味する。移民の多いフランスでは「このままではフランス人がいなくなる」という危機感がある。そのため子供たちを中心とした食習慣プログラムが、教育の現場で10年以上も続けられている。そこでは料理を科学すること、文化を守ること、自然や生産者と一緒に生きることの心を育てる哲学がある。お役所仕事や栄養管理者の仕事を超えた、国民全体の仕事である。フランスの活動はイタリアやイギリスにも普及している様子だ。その結果なのかどうかはわからないが「最近のイギリス料理は見違えるように美味しくなった」という人がいる。韓国にも食文化を守る動きが出ている。そのひとつが子供たちに学校給食でキムチを食べさせる運動である。

日本の食の再生のためには「日本人にとっての美味しさとは何か」の基本的な問いかけが必要だというのが私の再生仮説である。これが次世代の食品加工技術に繋がり、新しい美味しさを創造するという夢がある。因みに夢は見るだけのものではない。実現するためのものである。新しい加工技術でできた食品を通じて、食品メーカーが日本人のライフスタイルを伝え、教育しなければならない。

現在「美味しさ作りの科学」の研究を食品メーカー数社と進めている。「美味しさ作りの科学」は現在の食品メーカーが忘れた科学である。しかも世界では例を見ない日本独自の科学である。この点については次回以降お話する。

次回は日本の食再生にかかわる海外からの重要なインパクトについて述べる。

(TO BE CONTINUED)

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