目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第59回 情報ネットワーク社会の罠

私がデータを見る際、肝に銘じていることがあります。それは次の言葉です。

「事実が多ければ、それだけ意味が少なくなる」

top_column_59_1.jpg

「情報時代の選択」松岡正剛訳 リチャード・S.ワーマン

一般には「事実が多いほど意味が多くなる」と考えられます。
今の世の中、データや情報があふれています。インターネットを使った検索システムを使うと、たちどころにデータや情報が入手できます。それで問題が解決したと思っている人々が多くなっています。しかしそこから得られる意味は表面的なものに限られています。

下の図は以前にも紹介した図です。この図を5秒間見せられた場合と、1分間見せられた場合と、10分間見せられた場合では、図から読み取れる意味が変わります。

top_column_59_2.jpg

私は「反対のもの」によって物事を理解する
- リチャード・S.ワーマン

図を5秒間だけ見た人は、せいぜい食器や花瓶がテーブルに載っている程度の事柄の理解に止まります。大した意味は見出せません。
1分間見た人は、白抜きの食器や花瓶と背景の黒いテーブルの関係が少し理解できます。例えば皿やワイングラスが7個並んでいるので大勢の食卓ということを理解できます。
10分間じっと眺めた人は、デザイン画の意味を深く理解できます。大きなテーブルは、普通の家庭の食卓でないことを表しています。7枚の皿は大勢の人々が集う食卓を意味しています。大きなワイングラスとテーブルの真中に置かれた花瓶が、大人達が集まるハレの食卓を連想させます。お客を招待した食卓か、レストランの食卓なのではないかと推測できます。パーティを開いているのかもしれません。そんな背景である食卓にある食器や花瓶という意味が理解できます。

これが、図という事実(データ)の背後に隠されている意味(情報)なのです。同じ食器や花瓶でも家族団欒の食卓にある場合と、大人達のパーティの食卓にある場合とでは、当然に価値が異なります。テーブルという背景の意味を理解して、はじめて食器や花瓶の価値が理解できるのです。

5秒間の図を100枚見た場合と、10分間の図を1枚見た場合と、どちらの意味が多いかがおわかりでしょう。
私たちは、下手をするとデータや情報の表面的な意味しか理解できず、本質を見失っているのではないでしょうか。
情報ネットワーク社会の恐ろしい一面です。

食に関するコラム 目からウロコが落ちる話の一覧に戻る

ページトップへ戻る