目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第56回 時代の振り子の要理論 パート2 21世紀の食の未来を推理する

「日本の食生活はこれまでどう進化してきたのか?」
「日本の食生活はこれからどう進化するのか?」
上記の疑問を「時代の振り子の要」を使って推理します。

1.土間の食

戦前の我が国の食の価値は「土間」にありました。土間は、かつて家の中にあった唯一の地べたです。土間には食事の支度をするための調理場や流し場があり、竈(かまど)があり、井戸だってありました。食事をする場所は、土間より一段高い板の間や畳の間でした。土間にはコオロギやナメクジ、蜘蛛やヤモリが生息していました。日当たりの悪いスス臭い陰気な場所でした。
土間は食事の支度をするための労働の場所です。土間では、今では死語となった「炊事」が四六時中行われていました。「炊事」は労働を意味する言葉です。
戦前の土間では、家事労働の支配権を巡って大きな対立がありました。嫁と姑の戦いです。嫁は新しい労働勢力です。姑は古い労働勢力です。図に示すように戦前までの食の価値は、嫁と姑の振り子が家事の支配権を巡って土間で対立し揺れていました。因みに図の左側が古い食の価値を表す言葉です。右側が新しい食の価値を表す言葉です。左右の振り子は、食における古い価値と新しい価値の対立を表しています。
嫁と姑の対立に主人は悩みました。嫁の肩をもてば姑がひがみます。姑の肩をもてば嫁が泣きます。かつてNHKの朝の人気連続ドラマ「おしん」の世界です。主人は考えました。
『対立する嫁と姑の次元(土間)に解決の鍵はない』

2.台所の食

土間次元における労働支配権の対立を解決する鍵は、揺れる振り子の要にあると推理できます。推理のポイントは次の通りです。
仮説:食の進化の鍵は揺れる振り子の要にある
推理:食の価値が土間(振り子)から台所(要)に上がることで対立は解決できる
土間次元での対立が解決されるのは戦後まで待たなければなりませんでした。昭和30年代初め、住宅公団(現在の住宅都市整備公団)が、大都市を中心に高層集合住宅を建設し始めました。日本中の若者達は大都市の団地生活に憧れました。住宅のつくりが洋風モダンです。忌まわしい土間もありません。
台所はキッチンと呼ばれました。食事の支度はつらい炊事から楽しいクッキングに変わりました。洋風の住居が若い世代の憧れの的でした。当時のアメリカの人気テレビドラマ「うちのパパは世界一」は、親子4人だけの素敵なアメリカンドリームを若い世代に強烈に植えつけました。若者は故郷を捨て大都会に向かいました。極めつけは「家付きカー付きババ抜き」でした。戦前の土間次元での労働支配権の戦いに終止符がうたれました。

しばらくしてふたたび振り子が振れ始めました。今度は台所(キッチン)次元で振り子が振れました。素敵なキッチンでは既にインスタント食品や簡便食品が羽振りを利かせていました。インスタント食品や簡便食品を使った新しい調理法を「手抜き」といいました。古い調理法を「手作り」といいました。今度は女房と亭主が対立しました。
インスタント食品が登場したのは昭和35年頃です。現在の大手食品メーカーのほとんどがこの時代に企業規模を拡大しました。インスタント食品は「調理を簡便化する食品」という意味です。言葉の意味から解釈すると、インスタント食品の価値は台所次元にあります。だから食品メーカーがどんな素晴らしい加工食品を作っても、主婦は「手抜き意識」からくる後ろめたさが消えません。亭主の不満は増大するばかりです。台所次元での振り子の対立は深まりました。

top_column_56_1.gif

3.食卓の食

台所次元で対立する振り子に解決の兆しが出始めたのは1980年になってからです。食の価値が台所次元から食卓次元に這い上がりました。
「台所で手抜きをするか、手間をかけるかに価値があるのではない。食卓で楽しく食べることに価値がある」
現在はそんな家庭が増えています。鉄板焼き、手巻寿司、鍋などのテーブルクッキングが流行っています。惣菜やテイクアウトに人気が集まっています。食生活の価値が、台所から食卓へ上がっていると筆者が感じたのはある事件が切っ掛けです。「ビール生樽合戦」という事件(?)が1980年代に起きました。
1979年、(株)アサヒビールが「ミニ樽」を発売し、世間の注目を浴びました。3リットル入りのミニ樽の新発売がビール業界の生樽合戦を引き起こしました。このミニ樽が流行った理由に、食生活の進化が深く関係していると推理しました。
ミニ樽は大勢が集まるパーティ用のビールです。3リッルのビールを1人で晩酌するほどの飲んべいは少ないでしょう。もし台所に価値がある時代のホームパーティならば「お~い母さん、ビールはまだか」となります。主婦は客が来ると大忙しです。冷蔵庫からビールを取りだしテーブルまで運び、その間に料理も出さなければなりません。この有様は、国民的人気漫画「サザエさん」家のフネさんをみればわかります。お客や家人のために、台所とテーブルを行ったり来たりの大忙しです。
「もうイヤ!私だって楽しみたい」
そこに登場したのがミニ樽です。テーブルの上にドン!
「後は皆様、ご勝手に」
これが意外にも亭主に受けました。注ぐのが楽しい。パーティ感覚いっぱい。
1979年に食の価値が台所から食卓に這い上がりました。

4.物事の食

21世紀になり、食の振り子は再び振れ始めています。
主婦の社会進出は今や当たり前です。少子高齢社会はすでに始まっています。手間をかけた食事の支度をしても家族が揃わない家庭が多いです。
独り暮らしでは、嫌でも独りで食べなければならない機会が多いです。
2010年には独り暮らしの世帯が親と子供世帯を、抜くことが確実視されています。そんな時代に「家族団欒の食卓こそ1番」とばかりも言っていられません。
家で食べるか外で食べるかは、子供たちが巣立った2人暮らしの夫婦にとって大問題です。ぬれ落ち葉のようにまとわりつく夫のために毎日のように食事を作らされたり、四六時中、夫と顔を付き合わせなければならない妻の苦労は並大抵ではありません。子供たちが巣立った夫婦には「家族団欒の場」とは違った別な生活機会が必要です。
地球レベルの資源問題や家計事情の厳しさが、以前のような贅沢を許しません。時代の振り子の要が食卓次元を超えようとしています。
「食の価値が食卓から物事という次元に進化する」
「物事」という言葉があります。この言葉の意味、なんだと思いますか?物事は単なる出来事ではありません。物事とは「生きかた」そのものなのです。
物と人とのかかわり合いを「知ると知らない」「知ろうとすると知ろうとしない」の違い。それだけで人の生きかたの豊かさは大きく変わります。とりわけ食の世界に起きるものごとは、自然と人とのかかわり合いが深い事柄が多く含まれています。自然と人とのかかわり合いの深さが豊かな文化をつくります。食は文化と深く通じあっているのです。
かかわりは物だけではありません。人とのかかわり合いもあります。
生活(事柄)とのかかわり合いがあります。普段のちょっとした事柄とのかかり合いに生甲斐を感じる時代が始ろうとしています。
ヒト・モノ・コトとのかかわり合いの豊さを求める人々が増えるでしょう。それを一番に実現できる場が、毎日の食生活です。身近な人生目標としての食の大切さの実感する時代の始まりです。ややオーバーに言えば、大根1本とのかかわりから豊かさを実感できる時代です。
そこから新しい食の知恵と技が登場してくるでしょう。
「台所と食卓に光があたる手料理」を考える時代がやってきました。

食に関するコラム 目からウロコが落ちる話の一覧に戻る

ページトップへ戻る