目からウロコが落ちる話

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弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第55回 時代の振り子の要理論 パート1 サラリーマンの悩みを解決する

21世紀に入って10年が経ちます。最近は21世紀なんてほとんど誰も言わなくなりました。21世紀に入ってからの10年は、何にも良いことが無かったからでしょう。世界中が世紀末を騒いだ事がまるで嘘のようです。
筆者は未来を推理するためのいくつかの思考のカタをもっています。その中で一番に気に入っているのが「時代の振り子の要」です。1990年頃、この思考のカタで21世紀の食生活の推理(予測)を行ったことがあります。今でもその推理は、大方当っていると自負しています。その理由を2回にわたってお話します。
1回目は「時代の振り子の要」がどんな思考のカタかをお話します。

私たちはともすれば、物事を対立的に考えるくせがあります。Aか Bかどちらか1つを選ぶといったように考えがちです。肝心なことは、対立的に考えながらもその対立を調和させる第3の存在を想像することです。三角形でいえばCの存在です。三角形という図形は、AとBの2つの対立の存在と、2つの対立を調和させるCという第3の存在を想像させてくれる思考のカタです。見えない未来を想像する思考のカタが「時代の振り子の要」です。
「時代の振り子の要」を用いて想像すると、見えない未来が見えてきます。嘘のような本当の話しを信じてもらうために、「時代の振り子の要」理論を使って悩めるサラリーマンの未来を想像してみましょう。

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サラリーマンの多くは、家庭をとるか仕事をとるかで悩んでいます。サラリーマンの悩みはどうすれば解決できるのでしょうか?
上の図はサラリーマンの悩みを時計の振り子に喩えています。サラリーマンの心の振り子は職場と家庭との間で揺れています。そんな揺れるサラリーマンの心の振り子の間を快適な高速通勤列車で結んでみても、サラリーマンの悩みは一向に解決しません。
サラリーマンの悩みが小さい間は振り子は小さく振れています。サラリーマンはなんとか悩みを抑えられます。しかし悩みが大きくなると振り子の振れが大きくなります。
時計の振り子には要(かなめ)があります。時計の振り子は要のおかげで揺れを保っています。もし振り子の要の位置がそのままであれば、サラリーマンの心の振り子は大きく振れ、グルグルと回転し目が回り、何かの拍子に心の糸がプツンと切れ、サラリーマンはどっかに飛んでいってしまいます。家庭をとるか仕事をとるかの2択問題ではサラリーマンの悩み問題は解決できません。
ではどうやったら解決できるのでしょう。図形を使ってサラリーマンの悩みを解決策を推理してみます。
『時計の揺れる振り子はサラリーマンの対立する心である。同時に三角形の2点である。時計には必ず振り子の要がある。振り子の要は対立する2点を調和させる3点目である』
揺れる振り子は三角形なのです。すると次のように推理できます。
『サラリーマンの悩みを解決する鍵は振り子の要に隠されている』

そう考えると、時代の振り子の要はサラリーマンの未来について色々と語り始めます。というより語らせるように推理します。
「仕事をとるか家庭をとるかの2択問題ではサラリーマンの悩みは解決しない」
「サラリーマンの悩み解決の鍵は、仕事と家庭の良い関係をつくることにある」
「仕事と家庭の良い関係をつくる鍵は、振り子の要に隠されている」

時代の振り子の図をじっと見ます。勘の良い皆さんなら、振り子の位置より要の位置が高いことに気づくでしょう。重力が働く地球上では振り子より要が高い位置にあるのは当たり前です。この当たり前の中にこそ、サラリーマンの悩み解決の鍵が隠されているのです。振り子の要は再び語り始めます。
「サラリーマンの悩み解決の鍵は、家庭や職場とは次元の違った生活場に存在する」
推理はいよいよ佳境に入ります。
家庭と職場は、サラリーマンにとっての大切な2つの生活の場です。この2つの生活の場が対立し振り子のように揺れているわけです。
『対立する2つの生活の場の良い関係をつくる第3の生活の場があるはずだ。それを探そう』
第3の生活の場の推理のポイントは2つあります。

  1. 家庭と職場と第3の場でサラリーマンの生活全体が説明できなくてはならない
  2. 第3の生活の場は家庭や職場より次元が高くなければならない

『社交場ではないか!』
サラリーマンには3つの生活の場があります。家庭、職場、そして社交場です。社交場を「街」や「盛り場」と言いかえても良いです。社交場は家庭や職場とは違った次元の生活の場です。サラリーマンは3つの生活の場で3つの顔を持っています。
家庭では夫や父親の顔
職場では上司や部下の顔
社交場や盛り場では自由な個人の顔
かつて日本の職場には半ドンという制度がありました。仕事が午前中で終わる制度です。午前中に仕事を終えたサラリーマンは、午後から街に出かけ、映画を見たりスポーツセンターで汗を流したり喫茶店で友人とお喋りを楽しみました。
かつてのサラリーマンは、家庭でもない職場でもない都心のスポーツ施設やレジャー施設で、あるいは盛り場で様々な午後の健全なレクリエーションを楽しみました。そのお蔭で喫茶店や映画館やスポーツクラブなど、たくさんの都市の娯楽や文化が生れました。街の社交場はサラリーマンにとっての心のオアシスでした。
そのうち完全週休2日制度が職場に普及し、サラリーマンの生活の場は職場と家庭の2つだけになりました。休日の2日間を家族サービスの買い物に付き合わされたり、自宅でごろごろと過ごすサラリーマンが多くなりました。週休2日制のおかげでサラリーマンは第3の生活の場を失いました。サラリーマンの生活はかえって貧しくなりました。
次回は時代の振り子の要を使って、戦後からの食の価値の進化と、21世紀の未来の価値を推理します。

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