目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第49回 記憶力が重要でない、上手に思い出すことが重要

「記憶する」と「思い出す」では意味が大きく異なります。前回お話した「整理」と「整頓」の違いと同じです。

「記憶する」=「整理」
「思い出す」=「整頓」

全ての事柄を記憶するのは難しいことです。またそんなことをする必要はありません。大切なことは、必要な時に必要な事柄を「上手に思い出す力」をつけることです。
私は人一倍「物忘れが良い」ことを自負しています。ただし「物覚えが悪い」とは思っていません。頭の容量が決まっているので、新しいことを考えるために古いことは忘れてしまいます。とりわけ悪いことはすぐに忘れてしまうよう努めています。だから私は「物忘れが良い」のです。しかし忘れても何かの拍子に必要な事柄を思い出すことができます。

『記憶することが重要でない。上手に思い出すことが重要である』

「上手に思い出す力」をつけるための特効薬は、たくさんの「正当な経験」をすることです。
「正当な経験なんてよくわからん」と思われる方々が大半でしょう。でも大切なことなのです。「正当な経験」とは、自分が全力で立ち向かった体験を、記憶として書き綴った心の記録です。
話しは少し変わりますが「体験」と「経験」では意味が異なります。体験は行為に伴って起きる表面的な知覚です。痛かった、辛かったが体験です。経験は知覚した体験を「強い体験は鮮明に」「弱い体験は曖昧に」といった具合に、心の記録を何枚も重ね、遠近法的に意味づけした結果です。経験は心の中に積み重なっている記憶の絵ガラスに喩えられます。
「正当な経験」をたくさんすると、たくさんの知恵を持つことができます。決してコンピュータや分析ソフトから知恵は生まれません。たとえ知識の自動販売機はできても、知恵の自動販売機は絶対にできません。現場の豊富な経験を持てない学者や評論家は、過去に起きた他人の経験を「後付け理論」(=知識)で上手に整理します。しかしそこから知恵は生まれません。知恵は未来に立ち向かうために自らの経験から引き出だされる「前付け理論」です。
新撰組隊長近藤勇は、竹刀を使った稽古ではけっして強くなかったと言われています。しかし愛刀虎鉄を握った真剣勝負では誰にも負けませんでした。事の真意は別にして、真剣勝負という正当な経験の積み重ねが、近藤勇に真剣の強さを思い出させてくれるのでしょう。たくさんの正当な経験を通して、たくさんの「自分の言葉」を作ることが「上手に思い出す力」をつけるコツです。

「君はエジプトを知っているかい?」
と尋ねられると大抵の人は「知っている」と答えるでしょう。ピラミッドやカイロ市街やナイル川の写真を見たり、雑誌で読んだことがあるからです。しかし、それが本当にエジプトを知っていることなのでしょうか?カイロ市街の猛烈な熱さや、行き交う人々でむせかえる街の体臭を経験したことがある人は少ないでしょう。
筆者の友人がエジプトへ行きたいと思いました。夜の砂漠にたたずむ、ライトアップされたピラミッドのロマンチックな写真に憧れたからです。友人のエジプトのイメージは出来上がっていました。あるパーティの席で、筆者は友人にとんでもない話をしました。
「君、知っているかい。エジプトのホテルの天井にはヤモリがいっぱい生息していて、それが夜になると、ときどきベッドにポタリと落ちてくるんだぜ」
彼はエジプト行を断念しました。

こんな話もあります。
『春たけなわ、あるご夫人がそれまで行ったことのない景勝地を旅行した。旅行は、日程びっしりの団体ツアーだった。帰宅後、友達から旅行で何の印象が強かったかと尋ねられた。とっさに
「紅葉がとてもきれいで」
と云いかけた。その瞬間、自分が云った言葉に、思わずびっくりした。その景勝地は、秋の紅葉で有名な場所だった。彼女は絵葉書などで、景勝地の紅葉を見慣れ憧れていた。写真で見た秋の紅葉の印象のほうが、慌ただしい春の旅行体験の印象より強かった』(「哲学の現在」中村雄二郎 岩波新書)
彼女は慌ただしい春の旅行で、一体何を経験したのでしょうか?これを「絵に描いた餅の食い過ぎ」といいます。

疑似的な体験だけで満足する人が増えています。エジプトのピラミッドやカイロ市内の写真は、暑さや臭いがカットされた映像の世界です。生身の女性よりアニメキャラクターに恋をする若者たちが増えています。生身の人間には体臭があり用足しもします。そんな嫌なことを感じなくてすむアニメキャラクターに憧れる若者たちが増えています。絵に描いた餅で満腹な気分にひたる人たちが増えています。
疑似的な体験は直裁的に知覚を刺激します。パソコンのバトル・ゲームが好例です。直裁的に知覚を刺激する疑似体験は抹消神経を肥大化させます。しかし肝心の心が置き去りになります。
正当な経験を通して得た感情には喜怒哀楽があります。疑似体験から得た感情からは怒りと哀しみがとれてしまい、喜楽な人間を作り上げます。今、子供たちの間に蔓延している心の栄養失調です。因みに心の栄養失調は子供たちだけの現象ではありません。これからは中高年の心の栄養不足が心配です。

「情報脚気」という言葉があります。白米ばかり食べているとビタミンB1が欠乏し,脚気になりやすくなります。精米過程でビタミンB1が米糠の中に落ちてしまうからです。情報も米と同じです。高度な分析手法ばかりを使い、洗練されたデータばかりを扱っていると、パソコン画面に出た一見して美しい結果に眼が奪われ、結果の裏に潜んでいる泥臭い現実や複雑な事柄を感じる感性が弱まってきます。「情報脚気」にかかった人々は、与えられた結果の選択(検索)だけしか出来ず、自分の未来を創造することができません。情報ネットワーク社会の影の部分です。皆さん、心を鍛えるため、痛みを伴う「正当な経験」をたくさん持って欲しいと思います。

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