目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第48回 物言わぬデータに語らしめる方法 パート2

筆者がデータを見る際、肝に銘じていることがあります。それは次の言葉です。
「事実が多ければ、それだけ意味が少なくなる」

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一般には「事実が多いほど意味が多くなる」と考えられます。
今の世の中、データや情報があふれています。インターネットを使った検索システムを使うと、たちどころにデータや情報が入手できます。それで問題が解決したと思っている人々が多くなっています。しかしそこから得られる意味は表面的なものに限られています。
下の図は以前にも紹介した図です。この図を5秒間見せられ場合と、1分間見せられた場合と、10分間見せられた場合では、図から読み取れる意味が変わります。

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図を5秒間だけ見た人は、せいぜい食器や花瓶がテーブルに載ってる程度の事柄の理解に止まります。大した意味は見出せません。1分間見た人は、白抜きの食器や花瓶と背景の黒い丸いテーブルの関係が少し理解できます。例えばサラやワイングラスが7個並んでいるので大勢の食卓ということを理解できます。10 分間じっと眺めた人は、デザイン画の意味を深く理解で来ます。丸い大きなテーブルは、普通の家庭の食卓でないことを表しています。7枚の皿は大勢の人々が集う食卓を意味しています。大きなワイングラスとテーブルの真中に置かれた花瓶が、大人達が集まるハレの食卓を連想させます。お客を招待した食卓か、レストランの食卓なのではないかと推測できます。パーティを開いているのかもしれません。そんな背景である食卓にある食器や花瓶という意味が理解できます。これが、図という事実(データ)の背後に隠されている意味(情報)なのです。
同じ食器や花瓶でも家族団欒の食卓にある場合と、大人達のパーティの食卓にある場合とでは、当然に価値が異なります。テーブルという背景の意味を理解して、はじめて食器や花瓶の価値が理解できるのです。
5秒間の図を100枚見た場合と、10分間の図を1枚見た場合と、どちらの意味が多いかがおわかりでしょう。私たちは、下手をするとデータや情報の表面的な意味しか理解できず、本質を見失っているのではないでしょうか。情報ネットワーク社会の恐ろしい一面です。ではどうすれば、データや情報から本質をとらえることができるのでしょうか?

データは単語、情報は熟語に喩えられる

図は1つのデータから成果を得るまでのプロセスを表しています。
「データ」は単語に喩えられます。単語の意味は多義的で特定できません。例えば「赤」という単語は色の赤を意味します。同時に情熱の赤の意味でもあり、政治思想の赤の意味もあります。赤丸急上昇中を意味することもあります。
単語と同様にデータの意味も多義的です。10.5%というデータを多いと読むか少ないと読むかは、その数字が存在する背景の解釈と仮説の立て方にかかっています。
単語と単語を重ねあわせると熟語になります。多義的な単語が結び合った熟語は、単語同士の繋がりを通して特定の意味文脈(=コンテクスト)をつくります。唄の文句で「真っ赤に燃えた太陽だから~恋の季節」といった具合に特定の意味文脈をつくります。
「データ」は「単語」に喩えられます。ということは単語の繋がりから意味文脈を読むように、データの意味を読むためには、データとデータの繋がりをつけることが必要になります。例えば先述の10.5%というデータに、1年前の5.0%というデータを重ねると「2倍成長している」という文脈が読み取れます。いくつかのデータを重ねあわせて出来る特定の意味文脈を「情報」といいます。「情報」は「熟語」に喩えられます。
データ同士を重ね合わせ繋がりをつけ、意味文脈を読みとり、情報に翻訳する行為を「分析」といいます。データという単語から情報という熟語をつくるためには、分析力を高めなければなりません。分析力を高めるために、最近はコンピュータの分析ソフトがよく使われます。

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知識と知恵

情報が出ただけでは価値がありません。情報を暮らしや仕事に活かして初めて価値がでます。情報を暮らしや仕事に活かすためには「情報」を「知恵」に翻訳しなければなりません。情報は「知識」に喩える事ができます。「知識」に対して「知恵」という言葉があります。知識と知恵は意味が異なります。

「整理整頓」という言葉があります。「整理整頓」は、知識と知恵の違いと、両者の深い関係を表しています。たくさんの知識を持っていても、その知識を実際の生活や仕事に使いこなせない人をウオーキングディクショナリー(歩く辞書)と云います。云われた当人は、あまり良い気持ちがしません。
家人の例でいえば、仕まい上手の探し下手が「整理」です。綺麗に仕まい込んだために探し出すのにひと苦労をするのが家人です。
「整頓」は文献資料が山と積まれた文筆家の書斎に喩えられます。一見して乱雑な書斎です。たまの日曜日、家人が書斎を掃除し、ついでに文献資料を整理しました。
「何故、勝手に掃除をしたのだ!」の文句が飛んできます。一見、乱雑に見える書斎ですが何処にどんな資料があるかが全て把握されており、すぐ取り出せるのが「整頓」です。
「整頓」は取り出すことに重点が置かれた言葉です
「整理」は仕まうことに重点が置かれた言葉です。
知識は整理に、知恵は整頓に喩えられます。
「知識は身につけるもの、知恵は身から引きだすもの」

戦略の鍵は現場にある

知恵がでても、行動を起こさなければなんの価値もありません。知恵者と言われる人の中には、決断を避けたがる人が多いように見受けます。決断を避ける理由は必ずしもはっきりしませんが、知恵が回りすぎて臆病になるのでしょう。決断力はその人が持っているポリシーと関係しています。ポリシーなど大げさに言わなくても生きる活力です。人生を後ろ向きに考える人は決断を避ける傾向が強いです。自分の仕事を斜(はす)向きに考える人々が多くなっています。これをサラリーマン病といいます。自分の仕事にこだわれず、諦めるための言い訳をたくさん持っている人たちです。

決断された事柄を実行し、成果に結びつけるためには体力や組織力が必要です。これまた問題です。最近、企業のトップや中枢部門に蔓延している動脈硬化現象は深刻です。加えて、企業の毛細神経である現場の神経麻痺現象が危機的な状況です。企業に蔓延しているサラリーマン病が、ビジネスを保守的でつまらないものにしています。

生産や販売の現場は、現象的に見ると戦術を実践する場です。しかし見方を変えると、戦略の新たな芽や未来の予兆を発見する場です。生産や販売の現場で発見した戦略の芽を、組織の本部やトップが吸い上げ戦略化し、戦術として現場に下ろす。このアップ・ダウンのダイナミズムが今の組織には欠落しています。
人気映画「踊る大走査線」で、ひとりの老刑事の勘が糸口になり突きとめられた犯人。犯人を逮捕するために、犯人のアジトへ立ち入ろうとする青島刑事。そこへ本庁幹部達から中止命令が出されました。その命令をパトカーの無線で聞いた青島刑事はすぐさま本庁幹部達に言いました。
「事件は会議室で起きているのではありません。現場で起きています」
筆者は次ぎのように主張します。
『戦略の鍵は会議室にはありません。現場にあります』

1つのデータから1つの成果を得るためには、多くのプロセスがあり、多くの翻訳装置が必要です。図にあるプロセスごとの翻訳装置を活性化させなければ、どんな素晴らしいデータが得られてもなんの成果も得られません。全ての翻訳装置を活性化させるために必要な共通要素があります。「自ら思う力」です。自ら思う力を養うことが重要です。

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