目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第17回 名探偵登場「日韓キムチ事件の謎」を解く

1サンプルの調査結果にも、必ずそこには事実が存在します。自称、マーケティング界の名探偵は確信しています。
『数サンプルであれ、そこに存在する事実を発見し、何故を考えるのが科学である』
統計理論にうるさいマーケティングの専門家は次ぎのように主張します。
「1000サンプルの調査結果は信頼できるが、数サンプルの調査結果は信頼できない」
これが市場調査のプロの常識です。大学の統計理論でそう学びました。しかしサンプルの大小にかかわらず、そこには必ず事実が存在します。何故、数サンプルより1000サンプルの調査結果を重視するのでしょうか?
1000サンプルの調査結果を重視するプロの理論には大前提があります。
「顔の見えない不特定多数の消費者を相手にする」

20世紀に入って発達した大量生産・大量販売のビジネスは、不特定多数の消費者を相手にするマス・マーケティング理論を開発しました。不特定多数の消費者を相手にするマス・マーケティング理論は
「市場はランダムに動いており、消費者の行動は偶然性に支配されている」
を大前提に統計学の確率理論を重視しました。視聴率の高さを唯一の手がかりに制作されているテレビ・コマーシャルを見れば分かります。
私たちはこうした大前提をなんの疑いもなく受け入れる傾向があります。これを一般に「常識」といいます。ところがこの常識をひっくり返すと、とんでもないことが起きるのです。一つの例をだしましょう。9年前に起きたキムチ事件です。

ある大手小売業のキムチの売上データと、わが社の食MAPの食卓出現データを比較していたときのことです。
7月後半(図表の26週目)から8月上旬にかけて食卓出現頻度が急上昇していました。ところが大手小売業のキムチの売上(POS)データは、上がるどころか減少していました。
注)1年間は52週。小売業は通常3月から第1週が始まり、この年の25週は7月の後半になります

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2つのデータの違いを見た大手小売業の幹部は、食MAPデータに疑問をもちました。
「わが社は全国に店を出している。食MAPデータは関東の120世帯でしかない。我々の販売データが下がっているのに、7月後半から急上昇する食MAPデータはおかしい」  注)平成11年当時はモニターさんが120世帯でした
全国に店を展開しているこの大手小売業の幹部は、自社の売場が日本の食卓を代表していると思い込んでいます。ですから自社の販売データと食い違う食MAPデータに疑問を感じたのです。一見して当たり前です。事実、これを言われたわが社のスタッフは返す言葉もなく退散してきました。
そこで自称!名探偵の登場です。自称名探偵はそう簡単には引き下がりません。名探偵曰く...
「たとえ120世帯であれ、キムチが食卓で急上昇するには、絶対に何か理由があるはず」
これが名探偵の信条です。名マーケターの信条も同じです。
事件解決のため、名探偵はキムチが食卓で上昇する原因を調べました(この情熱が大切です)。すると事件の真相は思わぬ方向へ展開しました。

色々と調べている最中、仕事仲間から「キムチ博士」の異名をもつ韓国歴史研究家を紹介されました。名探偵はさっそく「キムチ博士」に電話を入れました。「キムチ博士」から意外な事実が告げられました。
皆さんの中で、平成11年の7月下旬にある事件が起きたことをご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
週刊「サンデー毎日」が日韓キムチ論争を特集で取り上げたのです。特集の内容を一言で言えば次のとおりです。
『日本のキムチは本物ではない』
本場韓国のキムチは半年以上も漬け込んだ発酵キムチです。しかし当時の日本のキムチは即席漬けの発酵していない調味キムチです。日本のキムチは韓国の本物のキムチとは全く違うというのが論争の主旨でした。この特集は、当時の関係者の間で大変な話題になりました。「キムチ博士」の話で、名探偵の記憶はよみがえりました。
「キムチ博士」の話しはさらに進みます。サンデー毎日に刺激されて、8月上旬に朝日新聞の朝刊の生活欄で、本場韓国のキムチ特集を大きく取り上げられたと彼は言いました。それが切っ掛けとなり、キムチへの消費者の関心が一気に高まったというのが「キムチ博士」の説でした。わずか120世帯の食卓は、そんな世間の話題に敏感に反応したのだろうと最後に助言をいただきました。
「謎は解けた」
食MAPデータによりますと、7月下旬を境に一段とキムチが食卓登場頻度を上げていました。日本の食卓に本物キムチ・ブームが到来したのです。しかし、当の大手小売業のキムチの販売データは上がっていませんでした。自称!名探偵はコトの顛末を次のように思いました。
『事件は解決した。しかし新たな問題が発生した。その大手小売業で売られていたキムチは果たして本物のキムチだったのか?』

話を最初の「1000サンプルの調査結果は信用できるが、数サンプルの調査は信用できない」に戻します。
統計学で一番大切な指標として平均値があります。アンケート調査の結果を分析する際の一番重要な指標です。1000サンプルの調査は信用できるが数サンプルの調査は信用できない意味は、1000サンプルの平均値は信用できるが、数サンプルの平均値は信用できないという意味なのです。ところが、この平均値が曲者なのです。
「何故?」

統計学で一番に大切な指標に平均値があります。消費者アンケート調査結果を分析する際の基本指標です。だから調査結果は平均年齢や平均所得、平均的購買態度などで語られます。しかしこの世に全てが平均値の消費者など存在しません。平均値は統計上の仮想指標にすぎないのです。この世に存在しない消費者を、あたかも存在しているかのように便宜的に解釈する仮想指標が平均値なのです。
もう一つ、平均値信仰には大前提があります。その大前提が崩れるとしたらとんでもないことが起きます。

図は統計理論の教科書によく登場する平均値と分散の正規分布図です。平均値を重視する思想は、一番高い山を「平均値」とし平均値の左右に分散しているサンプル(消費者)を「誤差」と定義しています。

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正規分布図には大前提として「ランダムに分散している誤差は平均値に収斂する」という予測的な思想があります(①の矢印)。
図では正規分布図に加え、19世紀末に誕生した「普及学」に登場する「普及理論」の図を重ねています。普及理論は、平均値から2σ以上左側に離れて存在する誤差を革新の兆し(イノベーター)と定義します。普及理論は2σ左側の革新が分布全体に普及することを研究する学問です。普及理論は平均値を革新(誤差と見られている)に近づける創造的な思想です(②の矢印)。
確率論的・平均値的なマス・マーケティング理論では市場のダイナミズムは説明出来ません。現実の市場は誤差が平均値に収束する静学的な市場ではなく、誤差が平均値を動かす動学的な市場なのです。「小さな先駆け市場」が平均値という「大きな市場」を動かす。これが現実なのです。

21世紀は「One to Oneマーケティングの時代」と言われています。One to Oneマーケティングの思想は、20世紀のマス・マーケティングの思想と180度異なります。不特定多数の顔の見えない消費者を相手に、確率論的に消費者行動を予測するのではなく、顔の見える顧客を相手に1対1の関係をつくることで市場を動かすのです。One to Oneマーケティングが「関係性のマーケティング」といわれる所以です。因みにOne to Oneマーケティングはインターネット・マーケティングを指していません。インターネットや携帯電話、カタログなどの情報技術を利用しますが、関係性をつくる最終接点は人同士のリレーションが決め手になります。全てをITで完結するOne to Oneマーケティングは多くが名前だけの偽者ばかりです。

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