目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第5回 食卓造景学

top_column_5.jpg今回は、弊社の長い名称の謂れをお話しましょう。「ライフスケープ」という言葉は、都市プランナーの重要な学問の一つ「ランドスケープ」(=造景学)という言葉を、マーケティング用語として比喩的に使った私の造語です。「生活造景学」といった意味です。
都市を造るプランナーは3つの眼(目)を持たなければなりません。

  • 対象を「景観」として客観的に観る眼
  • 対象を「風景」として主観的(主体的)に見る目
  • 景観に風景を重ね合わせ「造景」として全体俯瞰する眼

都市プランナーの3つ眼(目)は山を描いている画家の姿を想像すれば分かりやすいです。
山という対象の事実は1つです。客観的に見た事実を「景観」といいます。事実を客観的に見る眼が第1の眼です。いわば科学者の眼です。
「景観」である山をどう描くかは画家の印象にかかっています。写実的に描く画家もいれば抽象的に描く画家もいます。画家の印象(=第2の目)を「風景」といいます。「風景」は画家の観念のフレームです。観念のフレームは画家にとっての真実です。日本画家であり風景画家として有名な東山魁夷は、悲惨な戦争を体験したことに起因して人物を描くことが出来なくなり、白馬や風景を描く道を選んだといわれています。東山魁夷は自らの風景画について次のように述懐しています。
「風景とは祈りである」
第3の眼は、景観である山を風景として描いている自分自身の姿を想像する心の眼です。私たちがよく経験する白日夢は第3の眼です。この心の眼を都市計画では「造景」といいます。

「景観」に「風景」を重ね「造景」として見せる技法が建築分野には多くあります。例えば「借景」という造園技術がその1つです。「景観」である奈良の春日山を「風景」として切り取り、「造景物」として見せる庭園作りの技法が「借景」です。奈良盆地に点在する枯れ山水の庭園の数々はそんな造景物です。万里の長城も造景物です。ゴビ砂漠という広大な景観の中に、匈奴から都を守るという中国歴代皇帝たちの強い意志が、万里の長城という巨大な造景物(=風景が景観化したもの)をつくりあげました。古代都市がそのまま保存されているローマ市街は街の全てが造景物です。

  • 景観は科学者の眼に喩えられます
  • 風景は芸術家の目に喩えられます
  • 造景は都市計画家の眼に喩えられます

数学方程式や統計理論を重視するマーケティング・サイエンス理論があります。マーケティングの最先端学問です。マーケティング・サイエンスは景観を重視する科学者や数学者の眼に喩えられます。
イメージやひらめきを重視する感性型マーケティングがあります。感性型マーケティングは風景を描く芸術家やアーティストの目に喩えられます。
両者はよく対立します。
しかし景観の客観主義が正しいか、風景の主観主義が正しいかではなく、2つの眼(目)を両立させる第3の眼が重要です。第3の眼は「見える価値」と「隠れた価値」の間に横たわる意味文脈を解釈するマーケターの心の眼です。この心の眼が「ライフスケープ・マーケティング」(=生活造景学)です。ライフスケープ・マーケティングは、マーケターが科学者や芸術家から都市計画家に変貌することです。

生活現場における消費者行動の意味を解釈するためには、生活現場で日々繰り返されている消費者行動を「観察する眼」が重要です。生活の文化に係わる事柄や、時代の気分に係わる事柄について消費者は的確に表現する言葉を持っていません。言葉にならない事柄に影響を受けるのが普段の生活です。普段の生活の中で繰り返される消費者行動を注意深く観察する眼と、行動の背景の意味を深く読み取る力が必要です。これを「ライフスケープ・マーケティング」と呼んでいます。そして食卓現場の消費者行動理論を構築する学問を「食卓造景学」と呼んでいます。食卓造景学はこれまでの消費者行動理論を越えた、情報ネットワーク社会にふさわしい進化した理論なのです。

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