食彩事記

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第24回 鏡開き

image_200801_1.jpg門松やしめ飾り、鏡餅を飾ったお正月も一段落して、日常の生活のリズムが戻るころにやってくる正月行事が、「鏡開き」です。今回は、「鏡開き」に関連した「餅」・「鏡餅」から話を進めたいと思います。

「餅」

餅は、縄文時代の後期に稲作の伝来とともに東南アジアから伝わったものと考えられています。その当時の米は赤色に近く、餅になりやすい米だったようです。今では、正月や祝い事などの「ハレの日」のための特別な食べ物となりました。日本人の生活・行事などに欠かせない存在として、節分や桃の節句・端午の節句などの節句ごとに餅が供えられたり、七夕やお盆・お彼岸などの季節の区切りにも食べられます。

「鏡餅」の由来

「鏡餅」が、季節・行事に供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降で、武家が正月に鎧や兜の前に、「餅」を供えたことから始まったといわれています。鎧や兜を意味する「具足(ぐそく)」の餅で、「具足餅」とも呼ばれたそうです。「鏡餅」の名は、丸く平らで鏡の形に似ていることからつきました。現代の鏡は四角いものが多いですが、昔は円形で祭具として用いられ、特別な霊力を持つと考えられていたからです。現在でも神社の御神体として、円形の鏡が祭られています。現在では、三方に半紙を敷き、その上に裏白(うらじろ、植物のシダ)をのせ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しスルメ・橙・昆布などが飾られています。最近では、プラスチックの容器に充填したものや多数の小さな餅を容器に入れたものに飾りをセットした「鏡餅」が、便利で衛生的なこともあって、利用する家庭が多いのではないでしょうか?皆さんのご家庭ではどうでしょうか?

「鏡開き」の由来

1月11日に行われるのが一般的なようです。江戸時代の武家では、1月20日でしたが、三代将軍家光が亡くなった20日(4月20日没)を避けて、商人が蔵開きをして、飾ってあった「鏡餅」を食べていた1月11日に合わせたといわれています。武家では、刃物は切腹を連想させるため、「鏡餅」を手や木槌で割ったり砕いたりしたということ、また、お供えした「鏡餅」は、年神が宿ると考えられ、神様と縁を切らないように割ったり砕いたりしたのが始まりです。「割る」・「砕く」は縁起が悪いので、「開く」と縁起のよい表現になったようです。

編集後記

image_200801_2.jpg「鏡開き」は、地方によって日が違い、京都では4日に、また20日に行う地方もあるようです。私の家では、お正月は田舎で雑煮を食べることが多いので、ぜんざいにして食べます。皆さんのご家庭ではどうでしょうか?


今月のコラム執筆者:卒業モニタ 沖さん(練馬区在住)

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