食彩事記

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第20回 栗

image_200709_1.jpg9月に入りました。まだまだ残暑が続いていますが、秋分を迎える頃には、昼よりも夜が長くなり、秋らしさが深まってきそうです。今年は、1年で月が最も美しく見える「中秋の名月」が9月25日だそうです。
風習に習って、ベランダの近くなどの月が見える場所に、すすきを飾り、月見団子・里芋・枝豆・栗などをお供えし、お月見を楽しんでみてはいかがでしょうか。
今回は、お供えもののひとつ「栗」について調べてみました。

「中秋の名月」とは

旧暦8月15日は「中秋の名月」と呼ばれ、日本では古くからお月見をする風習がありました。旧暦では7月~9月を秋としており、中秋というのは、秋の真ん中の日という意味です。旧暦8月15日に鑑賞する月なので「十五夜」とも言われています。
また、中秋の名月は、必ずしも満月にはならないのです。旧暦では月の満ち欠けを見て日付を決めており、新月のときが1日となり、満月になる頃が15日、その後また新月になる日に新しい月に切り替わります。ただ、新月から満月になるまでの日数が毎回15日であるとは限らないため、15日は満月ではない可能性があるそうです。

お月見の風習の由来

お月見の風習は、中国から伝わりました。中国では、唐の時代から旧暦8月15日を「中秋節」と称して、月見の宴を開いていました。日本では、奈良時代に宮中などで月見の宴を開いていたことが歌集や物語に書かれています。当時の貴族たちは月を愛でながら即興で和歌を詠み、その出来栄えを競いながら宴を楽しんだと言われています。また、庶民の間では、月を神聖なる神としてあがめ、農民は秋の収穫物を供えて五穀豊穣を祝い感謝する祭りをしていました。

「栗」の歴史

日本と栗の歴史は古く、石器時代の縄文遺跡から炭化した栗が発掘されています。冷蔵庫のない時代に保存の効く栗は、大切な保存食品であったことがわかります。
また、栽培の歴史では、平安時代の初期に京都の丹波地域で始まり、徐々に拡大していったとされています。書物では古事記に登場し、西暦400年前後に、吉野の山中に住む人が朝廷に「栗、菌、年魚類」を土産物として献上している様子が書かれています。また、平安時代の法典「延喜式(えんぎしき)」には、乾燥させて皮をむいた「搗栗子(かちぐり)」や、蒸して粉にした「平栗子(ひらぐり)」なども記されています。
丹波栗が、全国的に有名なったのは江戸時代になります。当時、丹波地方で魚の行商をしていた尼崎の商人が、帰路は丹波の栗を仕入れて持ち帰り、丹波栗の名で売り歩いていました。参勤交代などで尼崎を通過する西国の武士たちは、これを買って江戸や郷里に持ち帰ったため広まったものと言われています。

編集後記

image_200709_2.jpgクリのお菓子の定番である、モンブランを購入してみました。
モンブランは、アルプスのモンブラン(山)が名前の由来と言われており、山型のモンブランが主流になっています。
最近は、味のバリエーションが豊富で、栗のかわりに紫芋や南瓜を使ったモンブランや、マンゴーやイチゴを生クリームに織り交ぜたモンブランも発売されています。
今回は、都内のデパ地下で購入したものですが、ラムレーズン入りがアクセントになっているマロンクリームはくどくなることがなく、あっさりとしたモンブランでした。
モンブランは、各店で個性が出そうです。色々試してみて、自分の好きなモンブランを見つけてみてはいかがでしょうか。

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