食彩事記

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第7回 豆腐

image_200608_1.jpg8月の行事と言えば、お盆があります。本来は、仏教の行事だったお盆ですが、働く人は盆休みをこの時期にとり、故郷のある人は帰り、生きている私たちの生活のなかに、しっかりと根ざしている夏の季節の節目となっています。
お盆に食べる料理の一つとして精進料理がありますが、暑いこの時期は精進料理の一つである豆腐はいかかでしょうか。
今回はお盆と精進料理との関連について調べてみました。

「お盆」の由来

お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と言います。盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、そのために供養を営むのが、盂蘭盆会なのです。
釈尊の弟子の一人、目連尊者という人が、神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は、餓鬼道に落ちて苦しんでいました。何とかして救いたいと、釈尊に尋ねると、「7月15日に、過去七世の亡き先祖や父母たちのために、御馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」と教えてくれました。教えの通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦をのがれ、無事成仏することができたそうです。この故事が、盂蘭盆会の始まりといわれています。

それ以来(旧暦)7月15日は、先祖供養の重要な日になったと伝えられています。
現在、日本各地で行われているお盆の行事は、各地の祖霊信仰の風習などが加わったり、宗派による違いなどでさまざまですが、一般的にはご先祖や故人の霊が帰って来ると考えられています。
一般の家庭では、家族や親戚が集まり、ご先祖や故人の霊を迎え、感謝供養する行事として行われています。

江戸時代までは、すべての行事は中国と同様、旧暦(陰暦)で行われていましたが、明治になってから日本政府が欧米にならって太陽暦を採用した為、陰暦のお盆に近い、8月13日から16日の期間にお盆の行事が行われるようになりました。これを「月遅れ盆」又は「旧盆」と言います。
但し東京の都会部では7月にお盆の行事が催され、これを新盆と呼んでいます。

「豆腐」の伝来

日本に豆腐が伝えられたのは奈良時代と言われています。
6世紀にはじめて仏教が伝来して以来、7世紀から8世紀の奈良時代にかけて大陸との交流がますます盛んになりました。
従って仏教の伝来と豆腐は密接なつながりを持っていたであろうことは容易に想像できます。
しかし長い間豆腐は、僧侶や貴族階級など特権階級のごく少数の人達が食していただけでした。
日本での、豆腐に関する最古の文献は、1183年の奈良春日大社の記録です。

また、南北朝時代から室町時代にかけては、寺院の記録の中に、豆腐に関するものが急激に増えてきます。このことから豆腐は精進料理には無くてはならないものだったわけです。

編集後記

image_200608_2.jpg東京・神楽坂の路地裏のかなり分かりにくい場所に、知る人ぞ知る和食屋さんがあります。
京都ぎおんのお店ということで、豆腐や生麩のメニューがとても多いのが特徴です。お料理はどれも一工夫されていて、洋風にアレンジされていたり別のお料理に変身していたりと、お料理が運ばれてくる度に驚きがあり、とても楽しむことが出来ます。

このお店のもうひとつの特徴は、その建物です。
このお店は古い民家を改築したもので、その名残が所々に残っていて、家にいるような気分でとてもくつろげる店内となっています。
お庭もとても風情があり、窓際の席に座ると食事をしながらその美しさを存分に楽しむことが出来ます。

住所が分かっていてもなかなかたどり着くことが難しいお店ですが、見つけた時の感動と驚きはかなり大きいです。

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