食彩事記

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第5回 手巻き寿司

6月の行事といえば、第3日曜日の「父の日」が挙げられます。何となく「母の日」に比べ陰の薄い「父の日」ですが、今回は「母の日」と「父の日」について調べてみました。
「父の日」の夕食人気メニューである「手巻き寿司」を一緒に作りながら、お父様へ日頃の感謝の気持ちを伝えてみるのも良いですね。

「父の日」には手巻き寿司

手巻き寿司はお刺身や様々な具材の中から、好きなものを組み合わせて作る事ができます。お子さんもお父さんも満足でき、見た目も豪華なので「父の日」は手巻き寿司が上位にランクインしてきます。
また、日頃お仕事を頑張っているお父様と、お子様が触合いながら楽しく食事の機会を設けられるのも、人気の理由のようです。

「母の日」の由来(5月第2日曜日)

母の日の説は様々な説があります。古代ローマ時代、「神々の母レア」をたたえる春祭りからと言われる説もありますが、現在のような「母の日」が行われるようになったのは、100年ほどさかのぼります。
アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」の母は、1905年5月に天国へ召されました。
母をとても愛していたアンナは、自分を苦労して育ててくれた母に追悼の意を表し、教会の祭壇へ「亡き母をしのぶ」という花言葉の白いカーネーションを飾りました。
この日がアンナの母の命日である、5月の第2日曜日だったのです。
アンナは全国的に「母の日」を普及しようと支援者達と共に運動を始めました。
そして1914年、その声はウィルソン大統領まで届き、議会は5月の第2日曜日を国民の祝日「母の日」と制定したのです。
「母の日」のカーネーションは、アンナの母親が好きだった白いカーネーションを祭壇に飾ったことから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを胸に飾るようになり、母の日にカーネーションを贈る習慣へ変化していったのです。

「父の日」の由来(6月第3日曜日)

1909年、ワシントン州のソナラ・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)という女性は、「母の日」の説教を聞いていて、「父の日」もあるべきだと考えました。
母親の亡き後、ソナラと5人の兄を男手一つで育ててくれた父親を敬愛していたからです。
父親が6月生まれだったため、ソナラは自分が通う教会の牧師に頼み、1909年6月の第3日曜日に「父の日」を祝う礼拝をしてもらいました。
これがもとで、ワシントン州では6月の第3日曜日が「父の日」となったのです。
それから、幾人かの大統領によって「父の日」に関する声明などが出されましたが、実際に国民の祝日として定められたのは、1972年のことです。
「父の日」のバラは、ドッド婦人が墓前にバラを供えたことから、父が健在であれば赤いバラ、亡くなっていれば白いバラを贈る習慣へなったのです。

編集後記

神奈川県・溝の口駅から栄橋方面へまっすぐ歩いていくと、地元で評判のお寿司屋さんがあります。
テイクアウトも出来るので、手巻き寿司を買ってきました。
お店へ入ると、元気の良い板前さん達がお出迎えしてくれます。小さなお子様のいる家族連れや会社帰りのサラリーマンが一人でいたりと、客層は様々でした。
手巻き寿司の方ですが、ご飯の酸味がほどよく、酸味が苦手な人でも美味しく頂けると思います。具は手巻き寿司の先までぎっしりつまっており、最後までご飯と具材の味を楽しむことが出来ました。
今度は是非お店で頂きたいと思います。

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