目からウロコが落ちる話

目からウロコが落ちる話

弊社前会長、齋藤隆による食に纏わることを綴ったコラムです。

第1回 ものごと

私達の会社では、昨年12月から「食の達人養成講座」を開講しています。この講座は食への関心が高い人々を対象に、自分達の食生活の足元を見つめ直していただき、健康で経済的、かつ楽しい食卓を実現するための知識と知恵を体得していただく一連の活動の一つです。講座の1回目で私がお話したことを、このシリーズの最初の話題にします。

「ものごと」という言葉があります。この言葉の意味、なんだと思いますか?「ものごとは出来事」くらいにお考えの方々が多いのではないでしょうか。そうではないのです。ものごとは「人間の生きかた」そのものなのです。
料理研究家 辰巳芳子さんは「味覚旬月」(ちくま新書)の中で次の事柄を書いています。

「夕顔は水の音を好くそうだ。だから水辺近くの傾斜の棚で育てている。花のあと実がさがれば、そのまま食べたり、かんぴょうにしたり...」 「そのまま食べたことがないの? 短冊にきって、さばの水煮缶で炊く。おかわりしつつ、ああ夏がきたと思う...」 「冬瓜は大味だね、夕顔は挌が上」 ―あなたがそこまで言うのなら、食べてみる、送って頂戴―

私は精進風に炊き、葛をひいた。緻密な果肉の食感は、白い花につながる。
瓜の香り...、あの人は本当の味を知っていると思った。
種子の回りの綿は味噌炒めに別趣、味噌汁の実にすれば麩のよう。これもいわれた通りだった。

―夕顔の生産者は、なぜ瓜のように出荷せず、全部かんぴょうにしてしまうの?その上、漂白までしてしまう―
(引用者注:夕顔は栃木県が主産地、かんぴょうの漂白には硫黄を使います)

「たぶん、自分達が食べ方を知らないからだろう」

-略-

それは知る知らぬ、知ろうとするしないによる、人間ともの、ものごとのはざ間に口開く明暗だ。

物と人との係わり合いを、知ると知らない、知ろうとすると知ろうとしない...の違い。それだけで人の生きかたの豊かさは大きく変わります。とりわけ食の世界に起きるものごとは、自然と人との係わり合いが深い。自然と人との係わり合いの深さが豊かな風土をつくります。豊かな風土から個性に満ちた文化が育ちます。自然は人の文化と深く通じあっているのです。
私は「物より心が大切」は貧しい表現だと思います。ものには大切な心がこもっているのです。大切な心を吹きこむことが人とものとの係わり合いです。ものごとはそんな意味なのです。
私達は、10年にわたり「食MAP」を通して、食卓で起きている様々なものごとを観察しています。毎日繰り返される食卓では、多くの豊かなものごとが誕生しています。そして日本の文化がしっかりと息づいています。今年から私達はこれらの事実を足がかりに、新たな活動にとりかかります。
食卓に起こるさまざまなものごと(知識、知恵)に、食の達人達や食品メーカーの方々が気づき、お互い一緒になって日本の食文化を育てる活動です。
そのために必要な見方や考え方をお教えすることがこのコーナーの役割です。日頃みなさんが何気なく見過ごしている事柄の意味を考え直したり、日ごろの見方をちょっと変えるだけで、新しい発見にめぐり合えることを体験していただきます。それでは次回をお楽しみに...

追伸 このコーナーは隔週で発信いたします

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